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- A-sha Mai Yamane
A-sha Mai Yamane オフィシャルストア ボイス・オブ・ギャラクシー(銀河の声)を持つといわれるアーティスト、A-sha Mai Yamane。こちらのストアでは、歌うように人生を歩んできた中で生まれた創作物の一部をご紹介いたします。 SoundCloudでの試聴はこちら https://soundcloud.com/galacticnation ディスコグラフィー 1979年3月25日 - 「午前0時」(シングル、テイチク) 1980年5月 - 「たそがれ」(テイチク) 1985年7月 - 「Sorry」(テイチク) 1982年8月25日 - 「気分はフェアネス」(シングル、テイチク) 1982年10月 - 「WILL」(テイチク) 1984年4月21日 - 「THE DAY BEFORE YESTERDAY」(テイチク) 1984年5月21日 - 「月光浴」(テイチク) 1985年12月16日 - 「Flying Elephants」(テイチク) 1986年11月21日 - 「Embassy」(テイチク) 1987年7月21日 - 「ベスト」(テイチク) 1988年8月21日 - 「WOMAN TONE」(テイチク) 1989年3月21日 - 「Beating」(シングル、テイチク) 1989年6月21日 - 「1958」(テイチク) 1993年6月23日 - 山根麻衣・窪田晴男ユニット 「山根麻衣・窪田晴男ユニット」(ビクター) 1996年11月1日 - 「Invisible Love」(シングル、コロムビア) 1997年12月24日 - 山根麻衣 with NEW ARCHAIC SMILE 「ふつうの唄」(マキシシングル、New Archaic Sounds) 2001年12月5日 - 「きんのひも」(プライザー) 2003年12月7日 - 「やさしいきもち」(New Archaic Sounds) 2004年12月15日 - 山根麻以 the Celebrations 「祈りの唄」(New Archaic Sounds) 2007年7月25日 - 山根麻以+Visions 「Bird of Paradise」 (New Archaic Sounds) 2007年7月25日 - 山根麻以+風の子合唱団 「きみを愛してる・輝きの音」(マキシシングル、New Archaic Sounds) 2017年 DJ NaosisoaNとのユニットDragonCAT「Inner Torch」(EP、NewArchaic Sounds) <意識テクノロジー製作者プロフィール> 【A-sha Mai Yamane(山根麻以)】 出雲生まれ 富士山麓在住 愛を紡ぐ唄 源泉に戻る旅 愛することの喜びを 世界に伝えるウタウタイ 現代日本の瞑想指導のパイオニア、故・山田孝男の妻として、人類意識覚醒を願い共に活動をしてきた。 音楽活動の他に、意識テクノロジー開発・制作、瞑想指導、ヒーリング等のWSなども開催している。 【河野光男】 絵画・オブジェ・CG・映像等によるマンダラアート作家 メディテーショントレイナー 1990年ころより、瞑想指導家「山田孝男氏」の設立したノエラ研究所でサイコトロニクス器具の制作を担当するかたわら、瞑想とマインドエネルギーについて様々な実例と体験を通して学ぶ。 【山田孝男 】 神秘家 瞑想指導家 意識テクノロジー発明家 APG初代代表 日本サイ科学会理事 福来心理学研究所理事 1942年 弘前市で生まれる。 18歳の時の神秘体験をきっかけに、自己探求の道を歩む。 19歳より スブド(SUBUD、インドネシア生まれの行法)による霊的習練を実践。 ◎1961-70年 仙台の福来心理学研究所にて超心理学、神秘主義、ヨーガを研究。 TM(超越瞑想)を初めて日本で紹介する。 教職を辞してインドに渡りヒマラヤの麓、リシケシにあるスワミ・ヨーゲシュワラナンダの道場にてラージャ・ヨーガを修行。1年2ヶ月にわたり、インド・ネパールにて霊的修行を実践。 ◎1971-78年 71年帰国後、占星学の研究普及のための通信講座を開講する。 78年、『ほびっと村』にて占星学教室を開講。インド占星学を含む、本格的な西洋占星学を教える。門下生の多くは現在も第一線にて活躍中。 73年、ピラミッドパワーの不思議と出会い、瞑想で得た超感覚的知覚能力に よって解明を試み、『ヒランヤ通信』と名づけたチャネリング情報からサイコトロニクス(精神工学)に関する貴重なヒントを与えられる。これは瞑想教室門下生の出羽日出夫氏によって、ヒランヤという名前で商品化された。 ◎1978-89年 78年、アメリカ人のホセ・シルバ氏の開発した『シルバ・メソッド』 (SMC)の講師に就任。以降90年までに数千人の指導にあたる。 80年、魂の覚醒を目的とした、少人数制の『実践瞑想口座』を開講。 (これは後に、APGの集中瞑想講座に引き継がれた。) 同年、任意団体『まいんどまいんど八王子』を設立。SMCや瞑想を教えるかたわら、85年からは、故クリストファー・ヒルズ博士のスーパー センソニクス理論実技、器具の普及を始める。88年、株式会社『MMエイト』を設立。「SF通信」「パイレイ」を発行。 ◎1990-2003年 90年、富士山・山中湖にノエラ研究所を設立。 意識変容とヒーリングに役立つ意識テクノロジーの更なる探求と製品の開発を継続。 94年『MMエイト』を辞任。それに伴い「パイレイ」「SF通信」廃刊。 96年、NEWS LETTER『SUN』を発刊。 (12月号よりAPGに引き継がれ、APG機関誌として30号まで刊行) 97年、APG(アセンション・プロジェクト 銀河の声)設立。代表に 選任される。 21世紀の新しいヒーリング空間での人類意識覚醒をめざす。 2003年7月5日(土)午前2時22分、帰天。 日本における瞑想指導の第一人者として、真実を求めるすべての人々に自己探求の道を示し続けて来た。